2007.Jan.16 Tue |
手術当日。こういう日に限って、逸織は明け方の3時に起きてしまうから困る。全然、
寝る気がなさそうなので、アップルジュースを飲ませ、DVDを見て、2時間ほど時間を
つぶした。
朝の5時過ぎに自宅を出て、病院
に向かった。日の出前だというのにフリーウェイには結構な数の車が走っている。通勤
ラッシュだったら、ちょっと怖いなぁと思った。
病院には5時45分くらいに到着した。エントランスで受け付けを済ませ、真っ直ぐに
手術用の待合室に行った。昨日と同じような検査をして、手術用の衣服に着替えて、別
の待合室で待つことになった。最初は他に一家族しかいなかったが、時間が経つに連れ
て、どんどんと増えてきた。
しばらくして名前を呼ばれ、手術の準備室のようなところに通された。入れ替わり立ち
替わり、看護婦さんや麻酔師からの説明を受けた。ほとんどのことは事前に聞いていた
り、もしくは問題になるようなことはなかったが、ひとつだけ麻酔で悩んだ。
全身麻酔はガスを使い、点滴でも薬を入れるというところまで良かったが、術後の痛み
を和らげるためにエピドラルを使うがどうか?と聞かれた。背骨の神経に針を刺して麻
酔をかけるのだが、そういうのをするとは知らなかった。
実際のところ、麻酔後の痛みについては子どもによるので何とも言えないそうである。
痛がる子どももいれば、全然痛みを感じず、すぐに遊び始めるこどももいるそうである。
逸織がどちらのタイプかはわからないが、もし痛がるようなら痛み止めを使おうと思い、
また何らかの事故で後遺症が残ったら…と考えて、エピドラルはしないようにお願いした。
もちろん麻酔師や病院関係者は全然問題ないし、事故も起きていないと言っているので、
相応に安全なのだとは思うけど。
7時くらいに眠くなる薬を逸織の飲ませた。この薬は親と離れて手術室に入るのを怖が
ったり、泣き叫んだりするのを防ぐためらしい。しばらくして、目がトローンとしてき
て、フラフラしはじめた。しかも訳わからない言葉を喋っている。まるで酔いつぶれた
オッサンのようである。
手術予定の7時30分になってもドクターが来ない。どうやら交通渋滞に巻き込まれて
遅れているらしいとのことである。普通は渋滞を見越して早めに来るんじゃないの〜と
思ったりもしたが、来慣れているはずだから不測の事態なのだろう。
30分ほど遅れて、看護師の人たちがきた。逸織はフラフラで訳わからずの状態のまま
手術室に運ばれていった。
親は手術が終わるまで、一階の手術中専用待合室で待つようにいわれた。まだ時間があ
るのでコーヒーでも飲んできたらと言われたので、病院内にあるマクドナルドで朝食を
食べた。回りを見ると、朝、待合室でいっしょだった人たちも朝食を食べていた。みん
な、あまり楽しそうでないのは、子どもが手術中のためだからだろう。
朝食を済ませ、待合室に戻った。しばらくすると名前を呼ばれ、手術は無事に終わった
のでついてきてくださいと言われた。2階にあがり、Consult Roomというところに通さ
れた。ここでドクターから説明があるらしい。
待つこと数十分、執刀医補佐?のドクターが来て、手術の内容や術後のケアについて教
えてくれた。それからさらに待つこと数十分、看護婦さんが来て、術後の集中治療室に
通してくれた。そこには手術を終えた患者がたくさん運ばれてきていて、中央にいる看
護婦さん達がモニターやら何やらで監視していた。逸織はそこでグーグーいびきをかき
ながら寝ていた。
担当の看護婦さんから、起きるまで待っていてと言われた。で、待つこと1時間。全然、
起きない。看護婦さんからはもう起こしても良いですよと言われたので、声をかけたり、
揺すったりしたが、完全に爆睡状態。冷たいタオルを顔につけて、やっと目を覚ました。
それでも、まだ眠いたいらしく、目がトローンとしていた。
起きている間にササッと着替えを済ませ、病院を出た。日帰りというより、手術して半日
で退院というのもなかなかアメリカっぽい。
案の定、逸織は車の中で爆睡。途中、起きたり寝たりをしたが、ほぼそのまま夕方の5
時まで爆睡。夕方、起きてからはいつものようにいたって元気。痛みは全然無いようだ。
食事も普通。一応、念のため、タイレノールを飲ませた。
夜はなかなか寝付かなかったが、9時過ぎにはベッドに入った。少しとはいえ腹を切っ
たので、静養が必要だと思う。それにしても無事に手術が終わって一安心である。
手術が終わると、この巨大なポケベルで教えてくれる。
『 南京虫に食われ賠償金数億円? 英最高級ホテルの宿泊客 』
『虫は夫妻の荷物に入り込み、ニューヨークの自宅アパートにまで侵入、アパートを
消毒せざるを得なくなったと主張している。』
どうやって証明するんだろうか?
『 松山千春が夕張市激励で買い物100万円 』
『買い物には手ごわい街だな』
地方都市共通の問題の一つを見たように思う。
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